2009年2月28日土曜日

「こころ」と「からだ」のスピリチャル・ヒーリング(兵庫県丹波市・年輪の里で開催!)

 他人に対する攻撃的な心(怒りの心)と自己処罰観念(罪悪感が強く、仕事の失敗や人を傷つけてしまったことを十年も二十年も後悔している心)が、自己治癒力(免疫力)を落とし、ガンになる可能性が高くなるため、この両極端を去って、中道に入り、空気、太陽の光、地球、水に感謝する心。また、それらをお与え下さった、仏神に感謝する心の大切さが分りました。

 このような機会をお与え下さった、宗教法人「幸福の科学」大川隆法総裁先生、湯布院正心館館長の佐竹館長、福知山支部の皆さん、本日、年輪の里にお集まり下さった皆様方、それから、石野順子医学博士に心より感謝申し上げます。

 皆さん神の子仏の子である事も、よく分りました。

宗教法人「幸福の科学」福知山支部所属 三帰誓願者 前川謙一

Who is Buddha? 誰が仏陀ですか?


Who is Buddha? 誰が仏陀ですか?

Master Ryuho Okawa. 大川隆法総裁先生です。

Master Ryuho Okawa is Lord El Cantare. 大川隆法総裁先生は主エル・カンターレです。

            宗教法人「幸福の科学」福知山支部所属 三帰誓願者 前川謙一

主エル・カンターレは全人類を導くマスター

「主」という言葉の意味

 「主」という言葉は英語ではMaster(マスター)になります。
 海外では、私(大川隆法総裁先生)のことを、マスター・リュウホウ・オオカワ、あるいはマスター・オオカワと呼んでいます。

マスター・・・「主」「先生」もともとは「主人」という意味合い。

Lord(ロード)という言葉を使い、ロード・エル・カンターレとも言います。ロードという言葉も、「主」という意味ですが、ロードには、もう一段、人間離れしてくる、崇高な響きがあります。人間に対しては、なかなか使いにくい言葉ですが、マスターよりも崇高なイメージがあります。

“Master Ryuho Okawa.”

「主」とはマスターということであり、もともとは「主人」という意味から来ています。自分の主人であるからこそ、主であり、先生であるわけです。「主人」に対しては「僕(しもべ)」がいます。Masterに対しては、servant(サーバント)がいるのです。
 したがって、「主を信じる」ということは、「主の教えに素直に服従し、ついていく。主の教えを、そのまま受け取って、実践する」ということです。これが信仰の姿勢です。
 「この教えは、商売のネタとして使えるかどうか」というような判断で主の教えを吟味し、
「これはネタとして使えるな」などと考えるのは、落語や漫才のレベルです。信仰とは、そのようなものではありません。「この教えが使えるかどうか」などという考えでもって、幸福の科学で勉強しているようでは、まだ甘いのです。
 私の教えのなかには実用知識もかなり入ってはいますが、根本の部分の信仰論を持たなければいけません。

「君よ、涙の谷を渡れ。」より抜粋させていただきました。宗教法人「幸福の科学」大川隆法総裁先生、主エル・カンターレに心より感謝申し上げます。

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