2016年3月3日木曜日

2016年3月2日水曜日

「悟った人は救済のためにこの世に戻ってくる」という大乗仏教



「悟った人は救済のためにこの世に戻ってくる」という大乗仏教

 それにしても、まぜ、「仏陀がこの世に帰ってくる」ということを、それほど嫌がるのでしょうか。私には、それが理解できないのです。
 仏陀がこの世に帰ってこなくて得をする人は、いったい誰でしょうか。私は、それを訊きたいのです。「悟ったら、もう2度と、絶対にこの世には帰ってこられない」ということであれば、誰が得をするのでしょうか。
 それは、仏陀が説法をすると被害を受ける人でしょう。では、「被害を受ける人」とは、いったい誰なのでしょうか。
 つまり、これは、「悪魔の世界にはもう手を出さない」という約束になるのです。「悟りを得たら、悪魔の世界にはもう2度と手を出しません」という証文を書いて、お渡しすることになるわけです。
 しかし、その悟りは何かがおかしいのです。これでは、「悟ったからには、悪魔の世界には、もはや2度と手を出しませんし、この世には2度と帰ってきません」ということになってしまいます。
 例えば、警察が、「いくら泥棒が入っても、もう2度とこの家には近づきません」と約束をしているようなものでしょうか。これでは、やはり何かがおかしいのです。
 これは、仏教の経典を編纂し、教えを広げていく過程において、何らかの解釈的なすり替えがあったものと判断されます。
 さらに、それが、唯物論が近現代になって強くなってきたことと融合している面もあるのでしょう。
 つまり、唯物論のほうが科学的に見えてきて、「『魂がある』などというのは、非科学的で恥ずかしいことだ」「信仰を持っていることは恥ずかしいことだ」という考えを持つ人が増えてきたことが、一緒になってきているところもあるのではないかと思うのです。
 ですから、タイなどは、国民の95パーセントが小乗仏教徒だったとしても、もう1回、何らかのかたちで、“兜割り”をしなければいけないと思っています。
 「仏陀には、この世に帰ってきてほしくない」と言うのは悪魔に支配されているような人であり、そういう人は仏陀に帰ってきてもらっては困るわけです。しかし、人々を救うためにも、教えを説く人には、ときどきこの世に帰ってきて、仕事をしてもらわないと困るのです。
 これに対し、浄土真宗系では、「悟った人は、修行としてはこの世に戻ってくる必要がなくなるが、衆生への慈悲の思いで、救済のために、この世に帰ってくるのだ」というような教えを説いています。
 これは大乗仏教における仏教の修正かと思われますが、基本的な考え方としては、そのように考えてよいかと思います。
 この世の中には、不浄な苦しみがたくさんあるかもしれません。しかし、それらをただただ捨てればよいのではなく、この不浄の世の中をできるだけ浄化していくことが大事な仕事なのです。
 そのように、泥沼のなかから蓮の花をたくさん咲かせることが大事な仕事であるので、「仏陀はこの世を見捨てたわけではないのだ」ということを、知ってほしいと思います。

以上、『正義の法』大川隆法著(幸福の科学出版刊) 第2章 宗教と唯物論の相克「悟った人は救済のためにこの世に戻ってくる」という大乗仏教 より

☆宗教法人幸福の科学公式ホームページ⇒ https://happy-science.jp/



大川隆法総裁 2016年1月の法話・霊言ダイジェスト

「愛してるから、黙ってられない。」渋谷で若者1200人がデモ

フォロワー

ブログ アーカイブ

参加ユーザー