縁生の弟子たちよ。
諸々の比丘、比丘尼たちよ。
我が声を聞け。
かつて、我はあなたがたに教えたはずだ。
三宝に帰依せよと。
三宝とは、これ仏・法・僧なりと。
「仏」とは、ほとけ。現成せる仏を意味す。
これ、悟りたる人、覚者なり。
「法」とは、これ仏の説く法なり。仏の説く教えなり。
仏の説く教えは、
過去・現在・未来を通して、一乗なり。
一つの乗り物、一つの教え方、一つの内容なり。
過去、幾百万年、幾千万年、
あるいはそれを超える歳月のなかで、
人間は、さまざまな社会をつくり、
さまざまな時代をつくり、
さまざまな文化をつくってきた。
その時代、時代に、
その地域、地域に、
その文化、文化に、
異なった色彩はあれど、
されど、仏法は一乗なり。
すべての時代を貫いて、真実なる仏の教えがあったということだ。
我が声を聞く、あなたがたの多くは、
かつて、幾転生の己が人生の途次で、
さまざまなかたちで、我が教えを聞いたであろう。
それらの教えは、いつも唯一のことを教えていたはずである。
大宇宙には、その大宇宙を統べるところの偉大なる大霊がある。
この偉大なる大霊が、その分身を地上に遣わした時、
これが、現成の仏陀となる。
現成の仏陀は、その使命、立場のゆえに、
偉大なる大霊の法を説く。
偉大なる大霊の法は、仏陀を通して説かれ、
仏陀を通して説かれたその教えが、
弟子たちの力によって、
法典として編纂されてゆく。
その法典のなかを流れている教えを、久遠の法という。
この法に基づき、この法のもとに、人びとは生きねばならない。
この久遠の法は、仏陀が地上に現成しているかどうかを問わず、
仏陀が地上を去った後も、多くの人びとを導く光となるであろう。
多くの人びとを導く灯台の灯火(ともしび)となろう。
人びとよ、
仏陀ある時に生まれしは幸いなり。
仏陀なき時に生まれし人びとは、法を拠りどころとせよ。
法に依拠せよ。
法のもとに生き、法のために生きよ。
そうして、この仏法を育て、守り、広げてゆくものが、僧である。
すなわち、これ弟子たちの集団、サンガなり。
仏法がいかに、広く、多くの人びとに伝わるか否かは、
この僧団の力による。
以上、『仏陀再誕』大川隆法著(幸福の科学出版刊)より
4月8日、仏教の開祖、お釈迦様の御生誕を祝して。