2016年4月8日金曜日

三宝帰依


縁生の弟子たちよ。
諸々の比丘、比丘尼たちよ。
我が声を聞け。

かつて、我はあなたがたに教えたはずだ。
三宝に帰依せよと。
三宝とは、これ仏・法・僧なりと。
「仏」とは、ほとけ。現成せる仏を意味す。
これ、悟りたる人、覚者なり。
「法」とは、これ仏の説く法なり。仏の説く教えなり。
仏の説く教えは、
過去・現在・未来を通して、一乗なり。
一つの乗り物、一つの教え方、一つの内容なり。
過去、幾百万年、幾千万年、
あるいはそれを超える歳月のなかで、
人間は、さまざまな社会をつくり、
さまざまな時代をつくり、
さまざまな文化をつくってきた。
その時代、時代に、
その地域、地域に、
その文化、文化に、
異なった色彩はあれど、
されど、仏法は一乗なり。
すべての時代を貫いて、真実なる仏の教えがあったということだ。

我が声を聞く、あなたがたの多くは、
かつて、幾転生の己が人生の途次で、
さまざまなかたちで、我が教えを聞いたであろう。
それらの教えは、いつも唯一のことを教えていたはずである。
大宇宙には、その大宇宙を統べるところの偉大なる大霊がある。
この偉大なる大霊が、その分身を地上に遣わした時、
これが、現成の仏陀となる。
現成の仏陀は、その使命、立場のゆえに、
偉大なる大霊の法を説く。
偉大なる大霊の法は、仏陀を通して説かれ、
仏陀を通して説かれたその教えが、
弟子たちの力によって、
法典として編纂されてゆく。
その法典のなかを流れている教えを、久遠の法という。
この法に基づき、この法のもとに、人びとは生きねばならない。
この久遠の法は、仏陀が地上に現成しているかどうかを問わず、
仏陀が地上を去った後も、多くの人びとを導く光となるであろう。
多くの人びとを導く灯台の灯火(ともしび)となろう。

人びとよ、
仏陀ある時に生まれしは幸いなり。
仏陀なき時に生まれし人びとは、法を拠りどころとせよ。
法に依拠せよ。
法のもとに生き、法のために生きよ。
そうして、この仏法を育て、守り、広げてゆくものが、僧である。
すなわち、これ弟子たちの集団、サンガなり。
仏法がいかに、広く、多くの人びとに伝わるか否かは、
この僧団の力による。

以上、『仏陀再誕』大川隆法著(幸福の科学出版刊)より
4月8日、仏教の開祖、お釈迦様の御生誕を祝して。


2016年4月7日木曜日

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