2009年12月3日木曜日

「与える愛」と「自己犠牲」の違い


法話“The Human Condition ”Q&Aより(日本語訳)

Q:幸福の科学の「与える愛」と、キリスト教が説く、「犠牲」との違いは何でしょうか。

A:愛とは、他の人に何かを与えることです。愛とは、他の人に最高の自分を与えることです。愛とは、他の人に自らを捧げることです。
 愛とは、ある意味では犠牲ですが、本当は犠牲ではないのです。
 あなたがたは知らなければなりません。「与えることは、与えられることだ」ということを。「許すことは、許されることだ」ということを。
 あなたが愛のなかに「犠牲」を感じるとき、そこに別離(べつり)があり、他の人から切り離されたように感じるでしょう。あるいは、孤独に生きているように感じるかもしれません。
 しかし、真なる意味で私たちは一つです。だからこそ、私たちは、他の人々を許せるし、自らの最も大切な思いを与えることができるのです。
 つまり、他の人々は、あなた自身なのです。
 イエスは「汝の隣人を愛せ」と言いました。それは、「神を愛せ」ということと同じです。神への愛の実践が、隣人を愛することなのです。
 どうか、「犠牲」という言葉にとらわれないでください。
 愛を与えることは、何かを失うことではありません。それは、人生において素晴らしい経験を得るための方法なのです。

以上、「不惜身命」――伝道の軌跡――大川隆法著(幸福の科学出版刊)より抜粋させていただきました。このような教えを、お説き下さった、主エル・カンターレ、大川隆法総裁先生に、心より感謝申し上げます。

宗教法人「幸福の科学」三帰誓願者 兼 幸福実現党員 前川謙一

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