2016年10月20日木曜日

先の戦争を「中道(ちゅうどう)」の目で見直す必要がある


日本が戦後の荒廃から立ち上がる意味では、反省や懺悔(ざんげ)から出発したことには、よい部分があったとしても、そろそろ、正当に「中道(ちゅうどう)」の目で見る必要があるのではないかと思います。

例えば、いわゆる南京大虐殺に関しても、教科書に事実であるかのように書いてある記述を、保守系の言論人たちは、引っ繰り返そうとしては、反撃されたりというように、出したり引っ込めたりしています。

中国側は、「日本軍が南京市で30万人を殺した」ということを言っているわけですが、当時の南京市の人口自体が30万人いるかどうかぐらいであったので、そもそも、30万人も殺せるはずはありません。

それに、「30万人が殺された」と言うなら、南京市の人口がゼロになっているはずですが、その後の南京市の人口を見ると、事件前と同じぐらいの人口があるのです。

しかも、実際に30万人も殺すとなると、原爆を2個か3個落とさなければ無理な話でしょう。

そういうことを考え合わせると、30万人というのはありえない数字であり、中国側の誇大宣伝であることはほぼ間違いないと思います。

戦争なので、当然、軍人とは戦ってもよいわけですが、当時の中国には、おそらく、民間人の服装をしてゲリラ活動をしていた連中がいたのでしょう。今でも、イラクやアフガニスタンなど、いろいろな所にゲリラはいますが、彼らは、軍人なのか民間人なのかよく分からない格好をしています。ベトナム戦争のときのベトコン(南ベトナム解放民族戦線)なども、民間人なのか軍人なのかが分かりませんでした。

当時の南京でも、民間人のふりをして戦っている者がいたので、民間人に見える人が殺されたようなことも一部にはあったかもしれません。しかし、どう大きく見積もっても、30万人というのはありえないことです。広島や長崎で原爆によって死んだ人の数を見ても、それぞれ10万人前後です。それを考えると、銃弾や日本刀などで30万人も殺せるものではありません。

また、当時の新聞には、「百人斬(ぎ)り競争というようなものが流行った」という記事が載ったこともあります。

「2人の軍人が、『日本刀で、どちらが先に中国人を百人斬り殺すか』という競争をしている」というような記事を新聞に載せて煽(あお)っていたようですが、実際に日本刀を使ったことのある人からすれば、「とても百人も斬(き)れない。何人か斬ったら、刃がぼろぼろになってしまって、斬れなくなるので、そういうことはありえない」ということなのです。

例えば、昔、評論家の山本七平(しちへい)は、「戦争中、自分は実際に日本刀で人を斬ったことがあるが、日本刀で何十人もの人を斬ったりはできない。すぐに刃がぼろぼろになってしまって、とても、そんなには斬れない」ということを述べていましたが、当時は、そういう大げさなことが言われる時代であったのです。

しかし、たとえ嘘の話であっても、それが事実としてまかり通り、「おまえたち日本人は、間違ったことをしたのだから、この要求をのむべきだ」というようなかたちで、交渉材料として何十年も使われてきたのです。

そういう問題について正当に見直しをしようという運動を起こし、新しい教科書を学校で採用してもらおうとしても、1%の壁をなかなか超えられずにいます。

もちろん、「その教科書を採用したら、受験には不利になる」という事情も影響しているだろうとは思います。

        『不惜身命の心』――「不惜身命」講義 大川隆法著(幸福の科学出版刊)より

※(YouTube動画)・・・自虐史観を払拭するための戦い―幸福実現党・釈量子【ザ・ファクト】 https://youtu.be/9DiuXsxCQ90


0 件のコメント:

フォロワー

ブログ アーカイブ

参加ユーザー