2011年4月9日土曜日

「釈迦の本心」――よみがえる仏陀の悟り 大川隆法著(幸福の科学出版刊)より

第3章 六波羅蜜多の思想(抜粋)

2 思いと行動

釈迦の思想は、単に「内なる人」「内面の人」という観点だけで人間をとらえていたのではありません。「思い」と「行動」の関係や、その連続性、一体性を非常に重視していたのです。

「悟り」をみずからの内に求めたならば、悟りを得た結果は、必ず行動として現われてくるはずであり、その行動は、悟りの性質や種類そのものを現わすことになるはずです。

思いと行動は断ち切られているのではなく、一つのものの両面なのです。つまり、仏法真理に則した人生を生きているか否かは、思いと行動の両面から規定され、測られるということです。仏教では、そうしたことが説かれているのです。

結局、真の修行者であるか否かは、内面である「思い」と、外面である「行動」の両者の検討を待って初めて確認できるのです。

修行者は、内面を整えているということを、外面において、すなわち行動における実績として、証明する義務を負っているのです。

3 利自即利他

 「利自即利他」という言葉は、現代的には次のように翻訳できるでしょう。
 「みずからを磨き、みずからを偉大ならしめていく過程において、社会のユートピアを増進し、幸福の輪を広げ、自と他の大調和を完成していく。傑出した人間が出ることがまわりに不調和を呼ぶのではなく、みずからが傑出していくことによって、社会のいっそうの幸福を増進していく」
 すなわち、「みずからが悟りというものによって与えられた幸福感を、世の中の人びとに還元していく」という思想なのです。
 これは非常に大事な考え方であり、「利自」と「利他」とを併せ持ちながら、その順序において、「利自から利他へ」「利自であることが、すなわち利他につながっていく」という観点を忘れてはいけないのです。
 ここには実に微妙な考え方があります。八正道を中心とした修行方法は、阿羅漢(あらかん)に到達するための修行方法なのですが、阿羅漢から菩薩(ぼさつ)に移っていくためには、多少なりとも、利他の思いと行動を起こさなければなりません。すなわち、利自と利他を単に切り離すのではなく、「自分を利していくなかに、利他の芽を植え込んでいく」ということが、菩薩となるための条件なのです。
 後代、禅宗において、ひとりよがりの世界のなかで修行していた人たちが、六次元光明界よりも上の悟りを得ることができなかったのは、まさしくここに原因があります。
 そして、「六波羅蜜多」の思想は、菩薩から如来へと至るための架け橋でもあります。すなわち、六波羅蜜多は八正道を実践部門に展開したものであり、菩薩、さらには次の如来へと至るための修行方法なのです。

以上、『釈迦の本心』――よみがえる仏陀の悟り 大川隆法著(幸福の科学出版刊)より抜粋させていただきました。このような書籍を発行して下さった、地球系霊団の最高指導者、地球神、主エル・カンターレ、大川隆法総裁先生に心より感謝申し上げます。尚、詳細は『釈迦の本心』第3章 六波羅蜜多の思想、をお読み下さい。

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