「帰依する」「帰命する」という意味である。
妙法とは、
「妙なる法」「正法」「正しい教え」という意味である。
それが正しい訳である。
そして、蓮華とは何か。
それは「泥沼に咲く蓮の華」である。
経は「教え」――。
さすれば、「南無妙法蓮華経」とは何であるか。
「泥沼に咲くあの蓮の華のような、
清らかな正しい教えに帰依します」
という意味である。
毎朝、「南無妙法蓮華経」「南無妙法蓮華経」と言えば、
「正しい法に帰依します」「正しい法に帰依します」と言えば、
それで人が救われると言うが、
では、正しい法とは何であるか。
『法華経』の、その唱題だけで人が救われるか。
仏陀はそれを説いたか。
『法華経』そのものは、
仏陀が晩年に説いた教えの一部の片鱗を
とどめていることは事実である。
したがって、すべてが間違っているとは言わない。
しかし、
「正しい教えに帰依します」という、その行為を、内容を、
理解して実践しなければ、人は救われない。
「正しい教えに帰依する」とは何であるか。
「南無妙法蓮華経」とは、いったい何であるか。
それは、仏陀の悟った、
中道の教え、四諦の教え、八正道の教え、
そして縁起の教え、そう、因果の教えである。
「正しい行為をすれば、」正しい結果がまわってくる」
「正しい心には、天国の生活が巡ってくる」
――そういうことを仏陀は説いている。
それを無視して、題目だけで、なぜ人が救われるか。
愚かである。
さらに、「日蓮宗以外はすべて邪教である」とは、
なんたることであるか。
禅宗のなかにも、浄土宗のなかにも、
それ以外の、真言宗やいろいろな宗派のなかにも、
仏陀の教えは、部分的にではあっても流れている。
さらに、キリスト教にも、イスラム教にも、
真実なる仏の教えの流れは入っている。
さすれば、
「日蓮宗以外はすべて邪教である」という教えは
正しかったか。
間違いである。
それは、自分たちの勢力を広めるためだけの
方便であったはずである。
方便を、本質と見誤ってはならない。
間違ったことをすれば、間違った結果が返ってくるのだ。
以上、『永遠の挑戦』――国難襲来への警鐘 大川隆法著(幸福の科学出版刊)より抜粋させていただきました。このような書籍を発行して下さった、地球系霊団の至高神、主エル・カンターレ、大川隆法総裁先生に心より感謝申し上げます。